『わろてんか』藤岡てん(ドラマ)と吉本せい(史実)の相違点まとめ

予習・復習わろてんか

2017年度下半期のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「わろてんか」の主人公・藤岡てん(主演:葵わかな、幼少期は新井美羽)と、そのモデルとなった吉本興業創業者「吉本せい」について、主な相違点をまとめておきます。

 

ただし、藤岡てんについては、まだドラマ内で明らかになっていないところもありますので、ドラマの進行に合わせて順次加筆していきます。

参考文献は、以下の記事及びNHKドラマ・ガイド、ノベライズ版の「わろてんか」、NHK公式サイトなどです。

 

上記の記事には、当時の日本、世界をとりまく時代背景(主な出来事)も書いたので参考にしてもらえればと思います。

この記事は、もちろん場合によってはネタバレになることもあるのでご注意下さい。

 


この記事の目次

生まれた年

吉本せいが生まれたのは、1889年(明治22年)

一方、NHKドラマガイドによると1910年(明治43年)の時点で藤岡てんが17歳ということで、てんは1893年(明治26年)頃に生まれたことになる。

つまり4年ぐらい、ドラマの方が遅い。

 

吉本せい史実一覧の記事で書いたが、吉本せいが生きたこの明治~昭和の前半というのは、2度の世界大戦などもあって激動の時代。

第一次世界大戦では日本は好景気に沸いて、商売も好調になる。戦争特需で工場がたくさんできて、その工場を稼働させるための工場労働者があふれ、その労働者を狙った商売が活況を見せる。お笑いもそのような商売の一つ。

一方、第二次世界大戦では、敗戦に向かうにしたがって日本の景気は悪くなり、商売も厳しくなり、また戦時中の言論統制もあって「お笑い」という産業は厳しく取り締まられる。

ドラマにもこの時代背景が影響してくるのは必至で、4年遅れというのはそのストーリー上の都合があると思われる。

 

出生地

吉本せいは、明石または大阪で生まれ、大阪で育ったとされている。一方、藤岡てんは京都で育っている。

ドラマにしても史実にしても、商売の舞台となるのは大阪。

 

藤吉てんの出生地についても、ドラマのストーリー上の都合で京都となったのかもしれない。てんが「京都から大阪に出ていく」というところで、てんの決心を表現できるし、視聴者としても明らかな舞台の遷移であり、観ていてわかりやすいと思う。

 

実家

吉本せいの実家は米穀商。一方、藤岡てんの実家「藤岡屋」は京都で一二を争う薬種問屋だとされている。

また、吉本せいが三女であるのに対し、藤岡てんは長女であるなど、家族構成も異なる。

 

なお、吉本せいは奉公に出て(後述する)そこで色々と仕事や、悪い言い方をすれば「人のこき使い方」「利益を出すためのえぐいやり方」を覚えるが、藤岡てんは夫の実家で苦労しそれが身につくものと思われる。

 

女学校と奉公生活

吉本せいは11歳から6年間、奉公に出されている。

一方、藤岡てんは17歳時点で女学校に通っているという記述がある。

 

当時女学校に通うというのはほんの一握りの選ばれた人だけだった。

また、仮に家が裕福だったり十分な財力があり、女学校に通わせることができたとしても、女学校に通うことで余計な知識がついたり生意気(!?)に思われたりして逆に不利、奉公のほうが社会を学ぶ上で有利、という考えかたもあったと思われる。当時は女性は結婚して家を継ぐ子供を産むのが何より大事と思われていた風潮もあったはずだ。吉本せいにしても、実家は女学校に通わせる財力は十分にあったはずだとされている。

 

事実婚、結婚

吉本せいは18歳で荒物問屋「箸吉」の跡取り息子だった吉本泰三(本名:吉本吉兵衛)と事実婚、3年後に入籍している。

 

藤岡てんは、1912年(明治45年)に「祝言を挙げた」という設定なので、これは19歳のころだと思われる。ただし吉本せいと同じように、その前から事実婚状態だった。

 

二人の共通点は、事実婚を経て、事業のある程度の成功を待って結婚に至ったということ。

当時の結婚はお見合いが多かったはずで、結婚まで相手に会ったことないということも少なくなかったはず。特にお互い名家や大きな商売をしている家だったらなおさら。史実も、ドラマも、当時としては異例の結婚だったと思われます。

 

結婚相手はダメ男(夫)

吉本せいの夫・泰三は、遊び歩いていた時期もあってダメ男みたいなところがあったようだ。実家の家業をあっさりと潰してしまっている。それが、結果的には後の吉本興業につながるところになるのだが。

一方、藤岡てんの夫となる北村藤吉(松坂桃李)も、物語の序盤では妙な夢を見ていたりてんを騙していたり、ダメ男の面がある。

 

ただのダメ男ではなくて、家業を継ぎたくなかったのではないかという点は共通しているといえる。

 

ただ、泰三の場合は、晩年のせいが大げさに語っていた可能性がある(大阪人にとっては当然ともいえる、話を盛ったりする行為がある。これは批判されることではなく、大阪の人は話し相手を楽しませようというサービス精神でやっているらしい)ことは考慮する必要はある。泰三は早くに亡くなり、彼の話はせいから伝えられた部分が多くあると思われる。

 

続きはドラマのストーリーの進行にあわせて、順次記述していきます。

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Posted by tomo