吉本せい史実一覧。『わろてんか』藤岡てん(葵わかな)のモデル

予習・復習わろてんか

2017年度下半期のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「わろてんか」の主人公・藤岡てん(主演:葵わかな、幼少期は新井美羽)モデルである「吉本せい」についての主要な史実の一覧です。

ドラマの出来事上、重要と思われるものを簡潔に書き、当時の出来事を含めて記述しています。参考文献は「吉本せい お笑い帝国を築いた女(青山誠)」「新版 女興行師 吉本せい(矢野誠一)」などです。

 

吉本せいは、「吉本興業」の創始者として知られます。ある時期までは夫の吉本泰三(本名:吉本吉兵衛)が代表的役割を務めていましたが、泰三が亡くなったあとはせいが名実ともにトップに君臨しました。

 


この記事の目次

大阪で育つ

1889年(明治22年)。明石(兵庫県明石市)または大阪の天神橋・天満(現在の大阪府大阪市北区)の生まれ。米穀商・林豊次郎の三女として誕生。育ったのは大阪。

この年の出来事:大日本帝国憲法の公布、東京市誕生、パリ万博、東海道線が全通、日本生命開業、任天堂創立、大隈重信外相が襲撃され右脚切断、歌舞伎座が開業。

 

奉公生活

1900年頃(明治33年頃)、せい11歳。名門の米問屋だった島徳蔵の店に奉公に出される。他の家も含めて約6年間奉公する。

この年の出来事:北海道拓殖銀行設立、パリ万博・パリ五輪、東京電気鉄道(都電)設立、義和団の乱、日本に初の自動公衆電話、立憲政友会が結成、戦艦三笠浸水、ABO式血液型発見される。

 

結婚

1907年(明治40年)に結婚。せい18歳。ただしこの時点では事実婚であり、入籍は約3年後だったようだ。相手は3歳年上で、荒物問屋「箸吉」の跡取り息子だった吉本泰三(本名:吉本吉兵衛)。後にこの二人で吉本興業の前身となる団体を興すこととなる。

この年の出来事:東証株相場が暴落し恐慌へ、麒麟麦酒(キリンビール)設立、南満州鉄道開業、ハーグ陸戦条約締結、箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)開業、目黒競馬場が開設。

 

居候生活

1909年(明治42年)、事実婚からわずか2年。旦那の実家である「箸吉」が廃業。市電の通り道で立ち退きを命じられ、そのまま廃業してしまう。以後、夫婦はせいの実家に居候生活となる。

この年の出来事:米探検家・ロバート・ピアリーが北極点到達、「味の素」が発売、両国国技館落成、韓国併合が決定、三井合名会社(三井財閥)設立、伊藤博文暗殺、エジソンがアルカリ蓄電池発明。

 

寄席の買収

1912年(明治45年)、せい23歳。夫の泰三が初めて寄席「第二文芸館」を買収。せいも資金調達、買収交渉などに関与。寄席の経営に進出する。

この年の出来事:中華民国(南京)が成立、清が滅亡、ロバート・スコットの隊が南極点に到達、タイタニック号沈没、日本がオリンピックに初参加(ストックホルム五輪)、初代の通天閣が完成、明治天皇崩御、早川電気(シャープ)設立。

 

吉本興行部を設立、芸人を支配下に

1913年(大正2年)。「吉本興行部」を設立、落語家・芸人などを支配下(専属契約)に置く。なおせいは、この頃には既に3度の出産を経験済み。

この年の出来事:森永ミルクキャラメル発売、東北帝国大学に女性が入学(帝国大学初の女子学生)、ワグナー事件、浦上糧食工業所(ハウス食品)設立、江戸幕府最後の将軍にして最後の征夷大将軍・徳川慶喜が死去、立憲同士会(憲政会)設立。

 

「花月」第1号が誕生

1915年(大正4年)。当時の名門寄席「金沢亭(金澤亭)」を買収。これを「南地花月」と改名した。現代まで続く「花月」劇場の第1号。

この年の出来事:前年に始まった第一次世界大戦により日本は好景気に、日本が中華民国に対華21ヶ条要求、全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)第1回大会、三毛別羆事件、芥川龍之介が「羅生門」発表。

 

桂春團治が吉本移籍

1921年(大正10年)。借金苦にあえいでいた当時のスター、初代桂春団治(春團治)が吉本に移籍。

この年の出来事:日本にてメートル法が公布、シャネル初の香水が発売、大塚製薬設立、大日本蹴球協会(日本サッカー協会)設立、原敬首相暗殺、皇太子裕仁親王(後に昭和天皇)が摂政に、日米英仏四カ国条約締結(日英同盟廃止決定)。

 

東京進出

1922年(大正11年)。せい32歳。東京・神田に「神田花月」を開設。東京進出を果たす。

この年の出来事:キャラメルのグリコが発売・江崎グリコ創立、エジプト独立、水平社宣言、日本庭球協会(日本テニス協会)設立、未成年飲酒が禁止に、帝国ホテル焼失、日本共産党結党、小学館が設立、オスマン帝国滅亡、ソビエト連邦が誕生。

 

 

夫の泰三が死去

1924年(大正13年)。夫の泰三が死去。37歳だった。心筋梗塞か脳梗塞だったと言われる。以後、せいが名実ともに吉本のトップとして君臨することになる。ただしこの頃には実弟の林正之助が吉本の幹部として経営に深く関与しており、30以上の劇場を経営する同社にとってはなくてはならない存在に成長していた。

この年の出来事:第一次国共合作、英労働党が初の政権、日本皇太子裕仁(後に昭和天皇)結婚、伊ファシスト党躍進、甲子園球場が落成。

 

エンタツ・アチャコ結成。漫才の始まり

1930年(昭和5年)。林正之助の指示でエンタツ・アチャコが結成される(正式には翌年1月という説もある)。1932年にはそれまで「萬歳」と言っていたものが「漫才」と改称される。漫才の歴史が始まる。

この年の出来事:インド国民会議が独立宣言、マハトマ・ガンジーが抗議運動、初の国際中継放送が実施、鹿島組(鹿島建設)創立、共産党員の検挙始まる、銀座三越が開店、サッカーのFIFAW杯第1回大会、国内初の自動交通信号設置。

 

吉本興業合名会社誕生、社長に就任

1932年(昭和7年)。せい42歳。「吉本興行部」が「吉本興業合名会社」に改組される。せいは社長に就任した。

この年の出来事:桜田門事件、第一次上海事変、満州国建国、血盟団事件、五・一五事件、ナチス党躍進、東京宝塚劇場(東宝)創立、前年に発生した満州事変等の調査を担当するリットン調査団が報告書発表。

 

知人が逮捕、せいも収監される

1935年(昭和10年)。大阪を舞台とした大規模な脱税・贈賄事件に絡み、せいの知人や関係者らが逮捕される。せいも大阪地検に収監され、取り調べを受ける。後に主犯格と思われた当時の大阪府議会議長・辻坂信次郎が拘置所内で亡くなる。せいは不起訴となる。

この年の出来事:宝塚大劇場が全焼、モノポリー発売、築地市場がオープン、ナイロンが開発される、ナチスドイツが再軍備宣言・ヴェルサイユ条約破棄・ニュルンベルク法制定・国連脱退、NHK国際放送始める、大阪野球倶楽部(阪神タイガース)創立。

 

通天閣買収

1938年(昭和13年)。吉本、通天閣(初代)を買収。

この年の出来事:第1~3次次近衛声明、ナチスドイツがオーストリア併合・チェコスロバキアからズデーテン地方を割譲、オトポール事件、前年から始まった日中戦争が長期化する見通しとなり国家総動員法が公布・施行、東京五輪開催権返上、水晶の夜、

 

松竹系との抗争

1939年(昭和14年)。せい49歳。松竹系の企業・新興キネマが吉本所属の芸人に引き抜き攻勢をしかける。吉本側が出演差し止め訴訟など法的措置を連発し抗争に発展。結局、警察が介入し、吉本側は複数の芸人の移籍を認める結果となる。

この年の出来事:フランコ軍がバルセロナ・マドリードを占領しスペイン内戦が終結、NHKテレビ実験放送、ノモンハン事件、東京芝浦電気(東芝)創立、ドイツがポーランド侵攻し第二次大戦開戦、厚生省「産めよ増やせよ国のため」標語、映画「風と共に去りぬ」。

 

通天閣焼失

1943年(昭和18年)。通天閣、火災により焼失。鉄くずは軍需物資となる。

なおこの年「大阪花月」が開設されている。同劇場は「なんば花月」などを経て、現在の「なんばグランド花月」に統合される。

この年の出来事:1941年に開戦した太平洋戦争において日本軍はガダルカナル島やキスカ島からが撤退するなど戦況が悪化、スターリングラード攻防戦でドイツ敗北、敵性語追放・野球用語など日本語に、アニメ映画「くもとちゅうりっぷ」公開、山本五十六戦死、イタリアの講和、学徒出陣始まる。

 

ほぼ全ての芸人に契約解消を通告

1945年、46年、または47年(昭和20年~22年)。戦後、吉本は当時500人を超えていた所属芸人たちを、花菱アチャコを除き全員の契約を解消。その後は映画やキャバレー経営に進出し、復活を目指すことになる。

この年の出来事:終戦~GHQによる日本統治が始まる。以後数年の間は戦後の混乱期でもあるが、GHQによる改革が次々と実施され、現在まで続く企業も多く設立される。

 

吉本興業株式会社の会長に就任

1948年(昭和23年)。せい58歳。「吉本興業合名会社」が「吉本興業株式会社」に改組。せいは会長職についた。社長は実弟の林正之助。この前年、せい息子の穎右が亡くなっている。せいは穎右を吉本の跡継ぎとして考えていたようだが、24歳での死去だった。

1949年(昭和24年)。吉本、大阪証券取引所に上場。

死去

1950年(昭和25年)。せい死去。享年60。

吉本が演芸に再参入するのは昭和30年以降。業界トップに上り詰めるのは昭和50年代以降となる。

予習・復習わろてんか

Posted by tomo